「5.(黙秘権その2) 黙秘権はどうやって行使する?」

 黙秘権というのは,読んで字のごとく黙っている権利です。取調官から何を質問されても一切答えない(完全黙秘)のが最強ですが,ただひたすら「言いたくない」と答えるので構いません。取調官は,刑事訴訟法第198条2項で,最初に言いたくないことは言わなくていいと告げなければなりませんので,「言いたくない」と答えれば,本来はそれ以上は突っ込みようがありません。
 しかし,実際にこのような黙秘を続けることはとても難しいのです。ひたすら「言いたくない」と答えていても,「言いたくない理由を言え」(本来,これは違法な質問です),「悪いと思っているならちゃんと話すべきではないか」などなど,質問は延々と続きます。最初の数日間はなんとかやり過ごせても,勾留自体は最大で20日間ありますので,約3週間にわたって,毎日毎日何時間も延々と質問され続けるのに対して黙っている,もしくは「答えたくない」と答え続けるのは相当な精神力が要求されます。仮に20日間頑張ったとしても,別の事件で再逮捕となれば,また20日間続くことになります。さらに別件があれば,さらに20日間頑張らなければなりません。
 過去にお一人だけ,黙っているのが超得意という人がいて,20日間ひたすら黙り通したということがありますが,それはかなりレアケースで,多くの場合はそのしんどさに耐えきれなかったりします。現役のヤク○屋さんでも根を上げたという話を聞いたこともあります。
 では,どのように対応すればいいでしょうか。実は答えは簡単なのですが,捜査官が取調べをして供述調書を作成するのは,裁判の証拠として使うことが主な目的です。
 そこで,刑事訴訟法第322条1項を見ていただきたいのですが,長いので要約すると,被告人の供述調書は,任意になされた供述に基づき,自分に不利益な事実を認めている内容が書かれていて,被告人が署名押印をしているものは裁判の証拠にできるとされています。
 ここで注目すべきは,「被告人が署名押印をしているもの」であることという点です。被告人が署名押印していなければならないのですから,逆に言えば,署名押印がなければ,いかなる形や内容のものであっても裁判の証拠にはならないということです。例えば,取調べをしたら被疑者はこんなことを言っていました,という取調官の作った捜査報告書などは,少なくとも,被疑者の話した内容を証明するための証拠としては使えません。裁判の証拠にならないということは,捜査段階で何を話したのかは一切分からない状態になるということです。捜査段階で何を話したのかは一切分からない状態というのは,被疑者が質問に対して一切答えなかったり,ひたすら「答えたくない」と答えた場合でも同じです。
 そうすると,実は,黙秘権の行使というのは,供述調書に署名押印をしないということで,かなりの部分目的を果たすことができるということになります。法律家っぽく言うと,黙秘権の実践的意義は,裁判の証拠に使える形で被疑者の話を記録させないこと,ということになります。
 厳密には,署名はしないとしても何かを話せば,裁判になったらどういう弁解をするのかというヒントを取調官に与える可能性があるので,完全黙秘と全く同じという訳ではありませんが,私は多くの場合大差はないと思います。
 私は,署名押印しないということを印象づけるために,被疑者の利き手を聞き,その利き手の親指を折って下さい,それで,ペンが持てないので名前が書けません,と言ってください,と半分冗談のように話すことがあります。とにかく,私の了解なしに出されたものには名前を書かないでください,それだけやってくれたらあとは何とかします,と言えば,多くの人はそのことを理解して,ちゃんと実践できます。既に述べたように,私が担当した人で完全黙秘ができたのは過去に一人だけですが,名前を書かないでくださいと言って,これができなかった人は一人もいません。
 試しに,どの法律でもいいので探してもらったらいいのですが,被疑者について,何らかの書面に名前を書かないといけないという義務が定められている規定はまず見つからないと思います。どの場面でも,一切何も答えなくてもいいのですから,出されたものに名前を書く義務など出てくるはずがないのです。ですから,安心して署名押印は拒否すればよく,もし強要されそうになったらどの法律の何条に根拠がありますか,教えてくれたら弁護士に確認します,と言い返せばいいのです。被疑者の方にはそのように説明して,安心して拒否してくださいと伝えています。
 したがって,黙っているのが超得意な人はひたすら黙ればよく,そうでない人は無理に黙る必要はないのです。雑談だけ応じるのでも構いませんし,別に事件に関することを話しても構いません。ただ,出されたものに名前を書かなければいいだけです。簡単なので誰でもできます。
 ただし,これには例外があります。
 一つは,取調べ状況報告書といって,何時に取調べが始まり何時に終わったかを記録する書類がありますが,これは深夜の取調べとか,不当に長時間の取調べができないように取調べの状況を記録する,いわば被疑者のための書類ですので,これは名前を書くべきということになります。そのことがきちんと理解できる人には,その書類だけは名前を書いてくださいとお願いします。
 もう一つは,取調べに際して録音録画がなされるときは話はしないということです。先に,黙秘権の実践的意義は,裁判の証拠に使える形で被疑者の話を記録させないことと書きました。録音録画は,本来は,適切な取調べがなされていて被疑者が任意に話をしているかどうかを確認するためのものですが,実際には,被疑者がこんなことを言っていたという被疑者の話した内容を証明するための証拠として使われています。残念ながら,これは裁判の証拠に使える形で被疑者の話を記録していることになりますので,録音録画しているときは黙ってくださいと伝えることになります。
 黙っているのが得意なら黙っていてね,でも,撮られてなければ別に話してもいいですよ(撮られている時は黙ってね),いずれにしても出されたものには名前を書かないでね(これが重要),ということで黙秘権はとても簡単に,でも立派に行使できるのです。

                                         (2024/3/6 弁護士 戸谷嘉秀)

 黙秘権というのは,読んで字のごとく黙っている権利です。取調官から何を質問されても一切答えない(完全黙秘)のが最強ですが,ただひたすら「言いたくない」と答えるので構いません。取調官は,刑事訴訟法第198条2項で,最初に言いたくないことは言わなくていいと告げなければなりませんので,「言いたくない」と答えれば,本来はそれ以上は突っ込みようがありません。
 しかし,実際にこのような黙秘を続けることはとても難しいのです。ひたすら「言いたくない」と答えていても,「言いたくない理由を言え」(本来,これは違法な質問です),「悪いと思っているならちゃんと話すべきではないか」などなど,質問は延々と続きます。最初の数日間はなんとかやり過ごせても,勾留自体は最大で20日間ありますので,約3週間にわたって,毎日毎日何時間も延々と質問され続けるのに対して黙っている,もしくは「答えたくない」と答え続けるのは相当な精神力が要求されます。仮に20日間頑張ったとしても,別の事件で再逮捕となれば,また20日間続くことになります。さらに別件があれば,さらに20日間頑張らなければなりません。
 過去にお一人だけ,黙っているのが超得意という人がいて,20日間ひたすら黙り通したということがありますが,それはかなりレアケースで,多くの場合はそのしんどさに耐えきれなかったりします。現役のヤク○屋さんでも根を上げたという話を聞いたこともあります。
 では,どのように対応すればいいでしょうか。実は答えは簡単なのですが,捜査官が取調べをして供述調書を作成するのは,裁判の証拠として使うことが主な目的です。
 そこで,刑事訴訟法第322条1項を見ていただきたいのですが,長いので要約すると,被告人の供述調書は,任意になされた供述に基づき,自分に不利益な事実を認めている内容が書かれていて,被告人が署名押印をしているものは裁判の証拠にできるとされています。
 ここで注目すべきは,「被告人が署名押印をしているもの」であることという点です。被告人が署名押印していなければならないのですから,逆に言えば,署名押印がなければ,いかなる形や内容のものであっても裁判の証拠にはならないということです。例えば,取調べをしたら被疑者はこんなことを言っていました,という取調官の作った捜査報告書などは,少なくとも,被疑者の話した内容を証明するための証拠としては使えません。裁判の証拠にならないということは,捜査段階で何を話したのかは一切分からない状態になるということです。捜査段階で何を話したのかは一切分からない状態というのは,被疑者が質問に対して一切答えなかったり,ひたすら「答えたくない」と答えた場合でも同じです。
 そうすると,実は,黙秘権の行使というのは,供述調書に署名押印をしないということで,かなりの部分目的を果たすことができるということになります。法律家っぽく言うと,黙秘権の実践的意義は,裁判の証拠に使える形で被疑者の話を記録させないこと,ということになります。
 厳密には,署名はしないとしても何かを話せば,裁判になったらどういう弁解をするのかというヒントを取調官に与える可能性があるので,完全黙秘と全く同じという訳ではありませんが,私は多くの場合大差はないと思います。
 私は,署名押印しないということを印象づけるために,被疑者の利き手を聞き,その利き手の親指を折って下さい,それで,ペンが持てないので名前が書けません,と言ってください,と半分冗談のように話すことがあります。とにかく,私の了解なしに出されたものには名前を書かないでください,それだけやってくれたらあとは何とかします,と言えば,多くの人はそのことを理解して,ちゃんと実践できます。既に述べたように,私が担当した人で完全黙秘ができたのは過去に一人だけですが,名前を書かないでくださいと言って,これができなかった人は一人もいません。
 試しに,どの法律でもいいので探してもらったらいいのですが,被疑者について,何らかの書面に名前を書かないといけないという義務が定められている規定はまず見つからないと思います。どの場面でも,一切何も答えなくてもいいのですから,出されたものに名前を書く義務など出てくるはずがないのです。ですから,安心して署名押印は拒否すればよく,もし強要されそうになったらどの法律の何条に根拠がありますか,教えてくれたら弁護士に確認します,と言い返せばいいのです。被疑者の方にはそのように説明して,安心して拒否してくださいと伝えています。
 したがって,黙っているのが超得意な人はひたすら黙ればよく,そうでない人は無理に黙る必要はないのです。雑談だけ応じるのでも構いませんし,別に事件に関することを話しても構いません。ただ,出されたものに名前を書かなければいいだけです。簡単なので誰でもできます。
 ただし,これには例外があります。
 一つは,取調べ状況報告書といって,何時に取調べが始まり何時に終わったかを記録する書類がありますが,これは深夜の取調べとか,不当に長時間の取調べができないように取調べの状況を記録する,いわば被疑者のための書類ですので,これは名前を書くべきということになります。そのことがきちんと理解できる人には,その書類だけは名前を書いてくださいとお願いします。
 もう一つは,取調べに際して録音録画がなされるときは話はしないということです。先に,黙秘権の実践的意義は,裁判の証拠に使える形で被疑者の話を記録させないことと書きました。録音録画は,本来は,適切な取調べがなされていて被疑者が任意に話をしているかどうかを確認するためのものですが,実際には,被疑者がこんなことを言っていたという被疑者の話した内容を証明するための証拠として使われています。残念ながら,これは裁判の証拠に使える形で被疑者の話を記録していることになりますので,録音録画しているときは黙ってくださいと伝えることになります。
 黙っているのが得意なら黙っていてね,でも,撮られてなければ別に話してもいいですよ(撮られている時は黙ってね),いずれにしても出されたものには名前を書かないでね(これが重要),ということで黙秘権はとても簡単に,でも立派に行使できるのです。

                                           (2024/3/6 弁護士 戸谷嘉秀)